「俳句にはやっていけないことは何もない」
のだそうです。

最近、よくテレビでお目にかかる夏井いつきさんの言葉です。

「俳句は型を覚えながら、パズルのように言葉を組み立てていきます。
その型を自由自在に使えるように反復練習するのが
俳句を詠む上での大切なポイントとなります。

ちょうど柔道や剣道の選手が形を身につけるために
黙々と練習や筋トレを積み重ねるのと同じです。」


そうか。
だから、たくさん作っていけば、それなりになれる?

まあ、ノーテンキの勘違いというか?

でも、物事のはじめって
そんなきっかけが多いんじゃないでしょうか。

こちらは、俳句の本です。(でも夏井さん、関係ありません)



ネコだけじゃありませんよ。
イヌだって家族です!

と言われそうなんですが、たぶんそれも事実でしょうが、
ネコは、本当に染まらない家族なので、
観察のし甲斐があるってものです。

自分の意見を言ってくるからね。

ねこもかぞく1


こちらの「ねこもかぞく」は、タイトルこそネコが付いていますが、
紹介されている全句にネコが絡んでいるということはなく、
テーマは「家族」なので、ニンゲンだけの句も多い。

なので、あえて句の中にネコが登場するものを選んで
紹介してみます。

本の構成としては、
一句につき、主宰の描いた文が右側一ページ。
左側にはイラストレーターねこまきさんの、句から発想した漫画。
ちなみに、主宰・堀本裕樹さんとねこまきさん。
一切の打ち合わせ無しだったそうです。



「貰われる話を仔猫聞いてをり」

文章も漫画も、ネコの方から寄ってきたり、手に乗ってくれた思い出を
紹介されているのですが。
実際に譲渡会に行ってみると、子猫たちの反応は、
けっこう冷たいもので、
でも、とても不安を抱えているようで、
決められずに帰ると、自責の念で滅入りました。




「捨猫の出てくる赤き毛布かな」

捨猫、いますかね・・・地方にもよるのでしょうか?
拾われて、明るい仔ネコの未来が描かれていますが、
まず、捨てないでーっ、とそっちに頭が回ってしまう。
時代とか、住んでいる地域によって
捉え方が真逆になる句のように感じます。



「虚子の忌の犬小屋にまた猫がおり」

まず外飼いのネコが少なくなっているのですが、
犬小屋にネコが入っていて、
「よかよか」と思うか、「犬はどうした」と思うか。
恋の季節明けのネコが、狭いところに居つくのは・・・
その後は決まってますよねー。




「泣き虫の子猫を親にもどしけり」

文章も漫画も、その場で子猫の引き渡しが行われる前提のようですが。
その場では、この子にします。と決めるだけ。
後から飼い主あるいは保護主さんに、自宅にお届けしてもらう、
が最近の流れなんですよね。

その場で、親猫の目の前で、お別れさせるのは、
そりゃー酷だわ。




「猫さがすビラ見てをりぬ夕桜」

突然猫がいなくなる経験は、私が小学生の時に一度あります。
当時の一般例として、半外飼いでした。
その時の私には、ビラを刷って近所に撒く、まで考えが回らず。
一週間、また一週間と、ただ時が経つのを待ち。。。

そして半年後。
野良猫然とした、太って毛の粗いネコになって帰ってきました。
どこで何をしていたのやら・・・

ただ家を覚えていて、帰ってきてくれた!
家族のことも覚えていてスリスリゴロゴロ寄ってくる!
見た目二倍くらいに膨らんで帰ってきたネコのことを、
愛おしく思え、抱きしめたことを、思い出します。
・・・クサかったけど。(^^;)
声までガラガラになっていました。





こうして見てみると、田舎出身だったり、
田舎住みだったりする人のネコへの感覚と。
都会の一人住まいだったり、家族だけの家では。

ネコも家族として受け入れているか。
ネコを家族として迎え入れているか。

そのあたりが微妙に違うような気がしてきました。

外に出したって、猫なんて平気で生きていける。と思っているか。
外に出したら、病気や事故ですぐに死んでしまうかも。と思うか。


ねえ。

どっち?

ねこもかぞく

やーめーれー!










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