本のことを書く場合、ある程度自分の中で書く・書かないの基準は決めていまして。

気に入った、だけでは書かないこともあるのですが、逆に気に入らなかった本はほぼ100%書くことはありません。
けっこう辛辣なことを書いている自覚もありますが、わざわざディスるために書くのは、作者に対して失礼なような気がするから。

しかし、今回はあまりに驚いたので、簡単に記録することに決めました。
こちら。↓


いちおぉ時代小説の形をとっています。
設定…江戸時代。
舞台…鈴江藩という架空の三万石大名の江戸屋敷。
主人公…行儀見習いのために武家屋敷に奉公に上がった町娘、お糸。
小藩ならではの、お家騒動、権力争い、公儀によるお取り潰しの危機・・・
しかし、そこに絡んでくるのが、ご正室が実は千年も生きている妖猫だった。正室だけでなく、おそばに使える女中たちもなにやら猫っぽい。いや虎っぽいのまでいる。そして、物語はねこ族対きつね族の対決の様相を帯びて…。

それどころか、時代小説の則を超えて、飛び交う言葉が
「いいのいいの、そんなに畏まらなくていいの。名前で呼んでくれていいから。ふふ、お糸ちゃん。あたしの正体、気付いているんでしょ」これが正室珠子の言葉。
「ちょいと、権さん、あんた、ふざけるのも大概にしなよ」正室の父親に対して糸子が放つ言葉。
「そうそう、珠ちゃんのところぐらいしか、わし、息抜きできないからね。畏まられると、居場所無いなあって感じになってしまうから、止めといてくれ、な、頼む」これ、藩主・長義のセリフ。
徳川家康がやっちゃんで、源頼朝がよりちゃんで、珠子の父親がダディーである。

数々の表現上の悪ふざけの向こう側に、かすかに土地と結びつく眷属たちの戦いや、人間の作り上げた脆弱な社会、その中で必死に生きる息遣い、のようなものも感じ取れましたけれど。。。

・・・時代小説をぶっ壊したかったのかな?

でも、たいていの時代小説が、価値観の違うむかしの時代という制約の中で、かえってシンプルになった人の思いや情の深さを描いている現代小説だってことは、読者だってわかっているはず。

目指したのはテレビアニメ化か?漫画化か?
ジュブナイル出身で、子供向けの小説にも数々見るものの多い作家なのに、なんかご乱心?のようにも感じられました。
日本児童文学者協会賞が・・・「季節風」が・・・泣いているのが聞こえそ・・・



時代小説といえば。
後ろから見たネコの座り姿が、打掛を羽織った女性のように見える、と思ったことがあります。俗にいう猫背の具合が帯の上から厚手の打掛をしている着た姿を連想させるのです。

打掛ネコ
お上臈ネコ。






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